好奇心の先のリアル
私が女性だったからなのか
すごく客観的に観ていた。
キモいとか最低とか
そういう感情は少し置いておいて
この映画に向き合えた。
私もSNSで発信している。
私的な使い方をしすぎる事と
怖いことは重々承知している。
何気ない写真で住所を特定できてしまう。
恐ろしい時代になってしまった。
事件に巻き込まれてしまうのに
性別も年齢も関係ない。
SNSという開放的かつ閉鎖的である空間がゆえに
自分の身は自分自身で守らなければならない。
それを社会経験も精神的にも未熟な子どもに
できるのだろうか。
日本人はロリコンが多い。
世界的にそういう印象を持たれていると
聞いたことがある。
だから未熟な少年少女を狙ったポルノ犯罪は
日本には多くあるだろうと思う。
しかし海外でこういった犯罪がこんなにも多くあるとは
正直驚いた。
あくまで私の印象だが
陰湿さとねっとりしたようなものが
日本のポルノ犯罪だと感じる。
しかしこの映画を観ると日本とは違う印象を受ける
すごく直球でおもむろ
海外ならではの大胆さを感じた。
どちらにしても恐怖を覚えるのには変わらない。
あんな経験を一度でもしてしまえば
大きな傷を負わないわけがない。
この映画は18才以上の女優さんが12才に扮している。
こんなことが自分の身に起こるかもしれないと
12才の子どもたちにはわかってほしい。
しかし映画を12才の子どもたちに観てほしいかというと
そこはなんとも言えない。
SNSは一歩間違えばこうなることを知ってほしいし
ちゃんと学習してほしい。
12才に危険を考える力なんてそんなにない。
それよりも好奇心が旺盛で
興味がでたことを何も考えずしてしまう。
いろいろと理解できるようになるけど
一方向しか見えていない。
まっすぐで素直な年頃だから
この映画を観るにはまだ早い気がする。
SNSはただ怖いものと思ってほしくない。
取り扱い説明書はないけれど
ちゃんと使うことが大切なのだ。
映画のホームページにある文言
「リアルの恐怖とフェイクの快楽」。
この「フェイクの快楽」という言葉に
引っかかってしまった。
映画を観た気持ちとして
自分の中ではどうも合わない。
どの言葉が自分の中でしっくりくるだろうかと考えた。
まず出てきたのが「安堵」だった。
しかし何かが違った。
オーディションで選ばれた大人の女優さんは
どういうことが起ころうとしているか
ちゃんと説明を受けていた。
それなのに日に日に精神的に参って
涙まで流している。
フェイクだったから良かったと「安堵」できない。
子どもじゃなかったとしても
フィクションでなければ
これは犯罪だ。
だとしたら何の言葉が合うのか。
もう少し考えると
「救い」という言葉が出てきた。
本当なら1人で抱え苦しむところだが
周りのたくさんの人がサポートやケアをしてくれる。
一緒に体験し見守って一緒に戦ってくれることは
フェイクであったがための「救い」なのではないかと思った。
そしてこの映画にリアルの「救い」も存在した。
それはただ普通のことだった。
その普通ということがとても素晴らしくて
私の頬に涙がつたった。
SNS-少女たちの10日間–
作品概要はこちら